「才能」なんてクソ食らえ

 

 

将来の話になると、大抵「才能」の話になる。ぼくが音楽の仕事をやりたいと言ったときもそうだった。親は「音楽の世界は才能のある一握りのやつしか生活できない」と言った。そんなことはないと思ったし、今でもそう思っている。

結局のところ、今、ぼくは音楽の仕事をしていないし、答えなんてないので個人的な意見でしかなのだけれど。ぼくの話はまぁいいや。

重要なのは、親に反対されたあの日のぼくの根拠のない自信というか、「才能がすべてじゃない」と確信のようなものが見えていた気がする。あれが何であったかということだ。

人は「才能」という言葉は使うくせに、才能の有り、無しをはっきりと示すことはできない。答えは簡単だ。「才能」はとても曖昧で、出てきたり消えたりするからだ。

才能は比較の中にしか存在しない。数学の得意なA君とそうでもないB君がいれば、A君のほうが才能があるとみんな言うだろう。もしここにもっと数学が得意なC君が現れれば途端にA君は大したことがないように見えてくる。それでもB君から見ればA君は才能があるように見えているだろう。1年後、B君がめちゃくちゃ勉強してA,C君の成績を上回ったとしたら、B君にはやっぱり才能があったんだねとかみんな言うようになるんだ。バカみたいだ、状況や時間や視点の違いでヒラヒラと形を変える、こんな曖昧なもののせいで、たくさんの人が夢を諦めたんだ。

『才能=(わたしから見て)すごい、他の人とは違う』こう書くと「ヤバい」とか「パない」とかと変わらないように思えてくる。

もし夢や目標を「才能あるやつしか」とか、つまらない言葉で片付けられそうになっている人がいたら、気にすることはない。「才能」という言葉は、人に何かを諦めさせる時に使いやすく、かつ効果がある言葉だ。誰もが通ってきた第一関門、まずは「才能あるやつしか無理だろう」と言ってきた人を納得させられるような何かを示そう。行動あるのみ。

 

もう一つ問題があるとすれば、自己評価するときの「私って才能ないかも」だ。努力してるのに、自信がもてないか、もしくは評価がついてこなくて不安であるか、そもそも努力してないか。努力してない人には行動しろというしかないが。

自信がない人はこちらも読んでみてほしい。ヒントになるかもしれない。

shoutrock2.hatenablog.com

 

 結果がでない人の話は次回に続きます。

次は努力の仕方の話。